父の遺産
今日は父の命日だったので、父の眠る横浜の教会に行ってきた。
なんとか日曜礼拝の時間に間に合ったので、受付で讃美歌と聖書を借りて母と弟一家と一緒に礼拝に参加した。
その日に歌う讃美歌のページを開いたら、あらあら桜の花びらが一枚押し花のように張り付いていた。
なんか得した気分。八重桜が咲く頃に逝った父からのプレゼントかもしれない。今日も満開の八重桜が咲いていた。
八重桜をみると父を思い出す。
抗がん剤の副作用で激しい吐き気に襲われ、最期は70kgあった体重が30kg代まで落ち込み、骸骨に皮を被せたように痩せてしまった父。
そんな苦しい病床にあって、在宅治療中の父の祈りは、常に感謝の祈りであった。
「このような私に今日も一日健康を与えられ…。」
涙を必死に抑えて父の祈りの言葉を聞いていたことを思い出す。
最後の病室もとても穏やかでこちらのほうが慰められましたと、父の死後、看護士さんが母に話してくれたそうだ。
どんなにか苦しく不安で、恐怖と闘っていたことだろう。それでも最後まで感謝の祈りを捧げていた父の姿こそ、私たちに残された大いなる遺産だと思っている。
今日も穏やかな一日だった
byケイコ
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Comments
考えさせられました。
今をより良く生きようとする姿勢が、死を前にして表れるのかしら・・・
きちんと生きていこうと思います。
Posted by: MONA | April 20, 2009 09:50 PM
MONAさん
父の心の奥底の葛藤は測り知ることはできません。でも最後に父が見せてくれた姿を誇りに思えて幸せだと思います。
与えられた人生を淡々と受け入れて生きることって案外難しい。まして感謝を持って今を生きる。
今日を無事終えたことを感謝する
私もそういう風になりたいです
MONAさんいつもありがとうございます。勇気づけられます。
Posted by: ケイコ | April 20, 2009 10:28 PM