必要な孤独、あってはならない孤独
自分と向き合うためにも、思考するためにも
あってはならない孤独は、子供と老人の食卓だ
ごくたまに一人でご飯を食べる時がある。その時に決まって思うのが母のことである
母はこうやって毎日一人でご飯を食べているのだ。
そう思うと切なさで胸がいっぱいになる
家族で食卓を囲んでいても孤独な淋しい子供もいるだろう
一人でご飯を食べている子もいるかもしれない
そういう淋しい孤独はあってはならない
ならばどうすればいいのだろう
せめて私は母とご飯を食べるために何度でもバスに乗ってアクアラインを渡ろう
青年期の孤独はそれが社会との孤立感ではないものならば必要なものだろう
孤独と向き合うこと、哲学することで、自分の心を育てることができるから
一人暮らしの息子はどうしているのだろうと思うが、母のことを思うそれとは全然違う
彼はきっと心も体もそうやってたくましくなって行ってくれるのだと思うから
友達はたくさんいるが、一人でいる時間も大切にしてる子だったと思う
もっとも彼が小さかった時には私たちもとても忙しかったので、淋しい思いはたくさんさせたと思う。風邪で学校を休んでいるときも、農繁期は一人でひっそりと寝かされていた
カラーのシーズンが終わって仕事場の片付けをしていると、嬉しそうに「もうカラー終わり!?」と言っていた。口には出さないけれど淋しかったんだなと母としては切なくなったものだ
小さな息子と散歩したかった。もっと一緒に風に吹かれたり、空を見上げたかった。これは母の思いだけれど。そのことを思うと今でも切なさがこみあげてくる。小さなうちはあっという間に過ぎてしまう。(これは母親の感傷ですな)
その彼も一人になる秘密の場所を持つようになり、ある日その場所に案内してくれたことがあった。今でも忘れない。とてもとても嬉しかったから。
彼の心を育てた大切な場所に案内してもらったから。
きっと息子はそんなこと、もう忘れてしまっただろうな
おかげで、一人暮らしが全然苦にならない大人になってくれた。
ホームシックに全然ならないのは母はちょっぴりさみいしいけれど…。
ススムがあわただしく出荷に出かけて行ったあと、ひとりでご飯を食べながら母のこと息子のことそんなことをぼんやりと考えていた
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Comments
保育の勉強をしている時に「孤食」という言葉を知りました。ひとりでご飯を食べる子どもが現代は多いそうです。家族と食べていてもひとりということもあるでしょうね。
高齢化の今、高齢者の孤食化も進んでいるということですよね
時々家族が留守して、ひとりで食事をしていると、し~んとした部屋の中で黙々と食べてる自分がわびしくなることがあります。食事というより”餌”食べてる気がしてしまいます。
それが毎日のように続くとなると・・・。
食事って、何を食べるかよりも誰とどんな風に食べるかが大きいと思います☆
ケイコさんがアクアラインのバスでやってくる日は、お母様のお腹も心も満たされ、温まると思います!
何度でも渡ってほしいなって私も思います
Posted by: みさお | March 18, 2008 10:05 AM
みさおちゃんいつもありがとう
私はこの年になって、母の料理は本当に心がこもっているんだなあと気がつきました
お恥ずかしい
家族で囲んだ食卓が本当に心も養ってくれたんだなあって、感謝の気持ちでいっぱいです。母は一人でいることには淋しいとは言いませんが、私が行ったときにおしゃべりは止まりません。
今は忙しくてなかなかいかれないのですが少し落ち着いたら、
おかあさんのご飯食べに行きまーす
いい年をしてまだこんなです
Posted by: ケイコ | March 18, 2008 01:08 PM