六ヶ所村ラプソディー
日曜日に友人が上映会を開いたので観に行ってきました
カラーが満載の作業場から仕事を中断して駆けつけたのですが、ぎりぎりセーフ間に合いました。
上映時間2時間ちょっとの核燃料再処理工場をめぐるドキュメンタリーです。
その地に生きる人たち、賛成派の人たちも反対派の人たちもそれぞれの生き方を淡々と映し出していきます
感情に流されることなく、いやらしくなく人々の暮らしや考えが映されます
稼動されれば高さ150メートルの煙突から毎日微量の放射能が大気中に排出され、周辺の海には廃液が流されます
微量といえども塵も積もれば山となる。目に見えない放射能がじわじわと濃度を上げていくのです。
すでに稼働されているイギリスの再処理工場の海は7、8年でかなりの汚染が確認されているそうです
六ヶ所村は開拓でできた村だそうで、工場の風下には農業地帯があります
登場した人の中で特に印象に残ったのが我が家と同じように無農薬での米作りに取り組んでいる方でした。彼女のコメにかける気持ちは私のそれとは比べようもないほどで、それだけでも頭が下がる思いですし、背中を押された思いでしたが、そんなに大切に育てたお米が、汚染されてしまうかもしれないのです。
彼女はお客様に正直にそのことを伝えアンケートを取ったそうです。当然購入を断る人もたくさん出てきました。お客様もとても苦しい気持ちで断ってきたことだろうと思います。
「こういうことです」と彼女は淡々と言いました。その時の彼女の顔が忘れられません。
もし私の村に同じことが起きたら…。もしあなたの街に工場がやってきたら…。
今二酸化炭素削減が大きな問題となっている中、原子力発電はそういう意味ではクリーンなエネルギーということを強調しています。私たちは今の生活レベルを維持するには電気は欠かせません。後戻りはできないなら今の私たちのはどのような選択肢があるのでしょうか・
見終わった後しばし言葉を失いました。
賛成か反対か。中立はないのだと映画の中のある人が言っていました。
「中立は何も言わないのだから、黙認。賛成と同じなのですと。だから私は反対します」と。
彼女は反対するために故郷に帰ってきて農業を営み始めています。その傍ら、反対の活動をしていました
工場のあるおかげで雇用が生じ、生計を立てることができている人もたくさんいます
再処理工場で取り出されるプルトニウムはほんの数グラムで何千人もの人を死に至らしめる威力があるそうです。汚染物質は何百年も残るのです
だれが得をするのだろう?先の見えないことを始めて、負の遺産はだれに引き継がれていくのでしょう。
安心なんてどこにもないと京都大学の原子力専門の教授が言っていました。
ならば誰がどこかででひそやかに笑っているのだろう?
私たちは知らないことが多すぎるのだ。知らないうちに、事は運び誰かの手の平の上で踊らされているのかもしれない
とりあえず、知ることから始めたい。
六ヶ所村ラプソディー、併せてアレクセイの泉を観てください
私たちの国は広島と長崎の国なのです
長くなりました。ここまで読んでくれた方ありがとうございます
私自身どうしていいか分からない状態です
Recent Comments