再び秋旅 安曇野
木の実の家で一晩過ごした翌朝は晴れ。
木の実の森に朝陽が射しこみ、静かな朝です。
山小屋のお掃除をしてから、出発。「今日もこの旅が良いものでありますように」
うーん最高!男前の八ヶ岳を眺めながら、安曇野を目指しました。
目的地は【いわさきちひろ美術館】
広々した敷地に建つ美術館の中もゆったりとした空間で
それぞれのペースでじっくり鑑賞することができました。
ちひろの手元に置かれていたというケーテ・コルヴィッツの画集。
そのケーテの版画とちひろの絵が同時に展示されていました。
モノクロームのケーテの版画と、柔らく淡い美しい色彩のちひろの絵の手法は全く異なるものでした。
しかし未来に可能性を持った子供たちの未来を戦争という愚かな行為で奪ってはならないというメッセージは共通の物でした。
子どもと孫を戦争で亡くしたケーテの「戦争」シリーズ、ちひろの絵本「戦火の中の子供たち」の原画。シリーズとは別にしあわせそうな親子の像。ちひろの赤いチューリップと赤ちゃんの絵。
展示室に入って最初に観たのが、チュ-リップと赤ちゃんの絵でした。胸の奥のほうがじんわり切なくなるような、温かく懐かしい思いが込み上げてくる気がしました。
そしてケーテの戦争シリーズの「母達」。円陣の塊になって母達が必死に中の子供たちを守っている姿には思わず涙がこぼれてきてしまいました。「犠牲」という作品では苦しそうな顔をした母親が、赤ん坊を差し出している姿がどうしようもなく胸が苦しくなってしまいました。木版画のモノクロームのかたまりが胸にずっしりと来るのです。
「戦火の中の子供たち」のちひろの作品はこどものまなざし、母のまなざしからちひろの思いが伝わってくるようで、絶対に子供たちからその未来を奪ってはならないのだという思いが湧き上がってきました。私も一人の息子の親として、彼を絶対に戦場に送りだすことだけはしたくありません。
今までちひろの絵は柔らかで美しいというイメージがありましたが、ちひろの絵に対する真摯な姿勢とともに、描かれている子どもたちの眼差しが印象に残った美術館でした。
悲惨さをそのままストレートに表現するのではなく、この美しく可愛らしい者たちが戦火の中でどんな状態に置かれてしまうかを思うときに、ちひろの思いが深く刺さってくるように思いました。
そして改めて私も「母親」であることをおもいました。常に母の目線で観てしまっている自分がいました。
帰りに20数年前にまだおむつをしていた息子を連れて訪れた舎蘆夢ヒュッテに立ち寄りました。新しい建物が増えていて様子は変わっていましたがヒュッテは昔のまま変わらずにありました。
私を連れて行ってくれた若い二人に感謝しつつ家路を辿り、夜遅く灯りのともる我が丸太小屋の扉を開けると愛犬ラニの大歓迎を受け、進に旅の報告をしながら、あたたかなお茶を入れて飲む。このささやかなことがどんなにか幸せなことなのだと思いました。
« 再び秋旅 甲斐路 | Main | 自家採種 »
The comments to this entry are closed.
Comments